環境や境遇に抗わず、志を仕事に「困難を抱える子供の未来を拓く」
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後悔しない生き方を選ぶ人生大逆転戦略
レールから外れ後悔ばかりの学生時代を経て、言い訳無用で廃業寸前の家業へ。 現実と向き合い赤字企業から過去最高益ヒットメーカーへV字回復させた話。
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後悔しない生き方を選ぶ覚悟のススメ
後悔しない人生を送るため、勇気を振り絞った一声が私の人生を変えた。ゲームに明け暮れ自信を失った1人の人間が、人を巻き込み地域に光を当てていく。
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霞ヶ関から九州・佐賀の豆腐屋へ逆境続きの再生と成長の道のり
倒産寸前だった実家の豆腐屋を、いくつもの大きな壁に直面しながら、通販と地域性を軸にしたブランド化によって再生・成長していくまでの過程を振り返る。
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つながりで世界をワクワクさせる就活を変革する起業家の挑戦と変化
人生のどん底(ニート、営業成績最下位)から奮起し、就活の新しい形を創る経営者へ。 仕事を好きになり自分を変えることができた理由「生きがい」との出会いの話。
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失敗から学び、愚直に向き合う。全ての契約リスクを制御可能にするために。
テクノロジーを用いて契約書に潜むリスクを制御可能にし、顧客を契約のリスクから守っていく。 ミッションを果たすためになすべきことは、シンプルだが難しい。失敗から学び、課題を探し、愚直に向き合っていくこと。 まさに今もがいている、その等身大をお届けします。
株式会社LegalForce 代表取締役CEO/弁護士 2010年京都大学法学部卒業、同年、旧司法試験合格、2012年弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。2013年森・濱田松本法律事務所入所、M&Aや企業間紛争解決に従事。 2017年、法律事務所の同僚である小笠原匡隆(現・LegalForce代表取締役共同創業者)と共に独立し、株式会社LegalForceと法律事務所ZeLo・外国法共同事業を創業。LegalForceの代表を務める(現任、ZeLo副代表弁護士も兼任)。 AI契約審査プラットフォーム「LegalForce」、AI契約書管理システム「LegalForceキャビネ」を通じて弁護士の法務知見と独自の技術を組合せ、企業法務における業務の品質向上と効率化を実現するソフトウェアを開発・提供。
踏ん張り、上り続ければ、不可能を可能に変えられる
全くの異業種から飛び込んだ憧れの世界。 "無理だ"と揶揄する周りを黙らせ納得させたのは初志貫徹の姿勢と強固な意地だった。
東京工業大学理学部数学科卒業。日本IBM、クックパッドで6年半エンジニアとして勤めたのち、1年4カ月の修業期間を経て、2015年9月、東京都千代田区一ツ橋に、カウンター12席の「未来食堂」を開業。メニューは日替わり1種のみ、着席3秒で食事ができる、決算や事業書を公開、「ただめし」「まかない」「さしいれ」「あつらえ」など、ユニークで超合理的な仕組みで飲食業に新風を吹き込む。その活動が評価され「日経WOMAN」ウーマン・オブ・ザ・イヤー2017年を受賞。「カンブリア宮殿」「ガイアの夜明け」「WBS」など多くのメディアにも取り上げられる。「誰もが受け入れられ、誰もがふさわしい場所」を理念とする未来食堂の活動は、「食堂の枠を超えた食堂」と共感を呼んでおり、新しいことを始めたい人が日々お手伝いに訪れる。その数、年間500人。
限界を突破する力これからの時代に求められる異端力
自分の強みを武器にして商品価値を高めるには、 また組織全体を「デキるマインド」に改革するには。 38歳で知事に就き、行政大組織を動かしてきた経験を語る。
1969年、東京都渋谷区生まれ。 大阪府立北野高等学校(在学中に全国高校ラグビー大会に出場、西日本代表、日本代表候補)、早稲田大学政治経済学部卒業。大学卒業同年に司法試験合格。1997年に弁護士登録、翌年1998年には橋下綜合法律事務所を開設。「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)などテレビ番組に多数出演後、2008年2月、当時最年少であった38歳で第52代 (民選17代)大阪府知事に就任する。2009年には世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出された。2011年第19代大阪市長に就任。知事経験者が政令市長に就任したのは日本史上初である。2015年12月大阪市長任期満了をもって政界を引退した。現在は、国内外で政治経済の取材を行いつつ、テレビ番組出演や講演、執筆活動等多方面で活動中。家族は妻、七人の子(三男、四女)。 2020年4月より「日本働き方会議」座長就任。
トップランナーが語る「乗り越える」
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1956年生まれ。大阪府立天王寺高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学でア式蹴球部所属。大学卒業後、古河電気工業に入社しサッカー日本代表に選出。 引退後は、クラブチームコーチを 務め、1997年に日本代表監督となり史上初のW杯本選出場を実現。その後、Jリーグの札幌や横浜での監督を経て、2007年から再び日本代表監督を務め、2010年のW杯南アフリカ大会でチームをベスト16に導く。中国サッカー・スーパーリーグ、杭州緑城の監督を経て、2014年11月、当時、四国リーグ(現J3)に所属していた、FC今治のオーナーに就任。日本サッカー界の「育成改革」、そして「地方創生」に情熱を注いでいる。
トップランナーが語る「乗り越える」
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バージニア大学大学院経営学修士(MBA)、ハーバード大学大学院経営学博士(DBA)修了。1985年からマッキンゼー・アンド・カンパニー、1992年 青山学院大学国際政治経済学部教授、2000年 一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授、2011年 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授。国内外の企業の社外取締役、アドバイザー。世界経済フォーラムのNetwork of Experts のメンバー。世界の課題を英語で議論する「場」の実験を継続中。専門は、経営戦略、競争力、グローバル人材。主な著書に、『戦略シフト』(東洋経済新報社)、『世界で活躍する人の小さな習慣』(日ビジネス人文庫)、「タルピオットーイスラエル式エリート養成プログラム」日本経済新聞出版社、『グローバルキャリア』(東洋経済新報社)、『世界級キャリアのつくり方』(共著、東洋経済新報社)など
常識にとらわれない経営哲学「超現場主義」がたどり着いた前人未到の頂
日本発、世界展開を果たしたカレーチェーン。 成功に繋がる無数のヒントは現場にあった。 「感謝」を忘れない創業者の値千金のひらめきと行動力とは。
生後間もなく孤児院に預けられ、三歳で養父母に引き取られる。養父のギャンブル狂により各地を転々とし、養父母の離婚後は、養父と2人生活保護を受ける極貧の少年時代を過ごす。自ら学費を稼ぎながら高校を卒業。不動産仲介業を経て喫茶店を開業。人気メニューのカレーライスの専門店「カレーハウスCoCo壱番屋」を1978年に創業。1982年に株式会社壱番屋を設立し、独自のフランチャイズシステムを確立させ、現在は国内外で144店舗を超える。ハワイ・中国・イギリス・インドにも出店し、現在も拡大中。2005年5月には東証一部上場。自身は2002年に役員を退任する。2003年にNPO法人イエロー・エンジェルを設立し、クラシック普及と演奏家への会場提供を目的として2007年にはクラシック専用の「宗次ホール」を名古屋市にオープンする。コロナ禍での講演活動の傍ら、社会貢献活動に益々力を入れている。
女性活躍社会の挑戦者が語る「乗り越える」
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株式会社サンリオエンターテイメント代表取締役社長。サンリオピューロランド館長。 東京出身、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。 1983年株式会社サンリオ入社。結婚退社、出産などを経てサンリオ関連会社にて仕事復帰。2014年サンリオエンターテイメント顧問就任、2015年サンリオエンターテイメント取締役就任、2016年サンリオピューロランド館長就任、2019年6月より現職。 子宮頸がん予防啓発活動「ハロースマイル(Hellosmile)」委員長、NPO法人ハロードリーム実行委員会代表理事、一般社団法人SDGsプラットフォーム代表理事、松竹株式会社取締役。
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宮城県石巻市出身。1991年、ポーラ化粧品本舗(現・ポーラ)に入社。 美容スタッフ・ショップの経営をサポートするフィールドカウンセラーとして実績を重ね、埼玉エリアマネージャーを経験。その後2009年より商品企画部長に。基幹ブランドB.Aのリニューアルに携わり、ポーラとして初のベストコスメ大賞を獲得。2012年に執行役員(商品企画・宣伝担当)、2014年に取締役就任(商品企画・宣伝・美容研究・デザイン研究担当)。 2020年1月より株式会社ポーラ代表取締役社長。 仕事の合間にコーヒーを豆から挽いて飲むのが息抜き。
チャンスをつかめる自分であるために進化を続ける
コンプレックスから出発し、辿り着いたのは世界の舞台。 孤独な戦場で戦い続け、時に葛藤に立ち向かい人生の選択を正解にしてきた覚悟と決断力とは。
17歳でNYコレクションにてデビューし、一躍話題となる。以後、世界の第一線でトップモデルとして活躍。モデルの他、テレビ、ラジオ、イベントのパーソナリティ、女優など様々な分野にも精力的に挑戦。日本人として唯一無二のキャリアを持つスーパーモデルとして、チャリティ・社会貢献活動や日本の伝統文化を国内外に伝える活動など、その活躍の場をクリエイティブに広げている。公益財団法人ジョイセフ アンバサダー、エシカルライフスタイルSDGs アンバサダー(消費者庁)
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1972年10月29日、福岡県生まれ。 現在はロケットエンジン開発や、アプリのプロデュース、また予防医療普及協会として予防医療を啓蒙する等 様々な分野で活動する。 会員制オンラインサロン『堀江貴文イノベーション大学校(HIU)』では、1,000名近い会員とともに多彩なプロジェクトを展開している。 著書『多動力』『やりきる力』『死なないように稼ぐ。』など
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1972年大阪府吹田市生まれ。1997年佐賀大学理工学部卒。 船井総合研究所などを経て2001年タニタ入社。 2005年タニタアメリカ取締役。2008年5月から現職。49歳(2021年8月時点) レシピ本のヒットで話題となった社員食堂のメニューを提供する「タニタ食堂」事業や、 企業や自治体の健康づくりを支援する「タニタ健康プログラム」などを展開し、 タニタを「健康をはかる」だけでなく「健康をつくる」健康総合企業へと変貌させた。
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東京都出身。1987年東京大学卒業後、旧経済企画庁入庁。1994年ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)経済学修士号取得。パリの OECD 勤務経験をベースに、日本経済、海外経済、金融政策、労働市場の分析を得意とする官庁エコノミストとして経済財政諮問会議の議論を支え、内閣府参事官(課長級)として「骨太の方針」や「政府・日本銀行の共同声明」等の策定に従事。内閣官房内閣審議官(内政総括)、内閣府政策立案総括審議官、OECD 経済政策委員会副議長等を経て、2020年8月から内閣府男女共同参画局長。 就職以来、経済財政政策分野を中心に歩み、いつもほぼ紅一点だった経験を活かして、日本のジェンダー平等に挑む。 最近、コロナ下で夜の飲み会がなくなり、少女時代に習っていたピアノが復活。凝った演出のオペラも好物。
損得なしに、好奇心を持ち続ける。ひとつひとつの仕事や出会いが、もたらしてくれたもの。
就職氷河期の厳しい環境の中、思うように自分の描いた仕事ができず、 チャンスがなかなか回ってこなくて、キャリアもビジョンも描けなかった。 それでも腐らず、あきらめずに、目の前の仕事に取り組み、 できることを増やして、出会いを大事にした。 今いる場所も、1から作り、目的と意図を問い、 「事業部門100人」までに、一緒に成長することができた。 世の中はどのような仕組みで、企業や組織はどのように成長するのか。 働くことで成長し、母であることや女性であることが妨げにならない、 誰もが笑顔で働ける会社を目指して。スタートアップベンダーのCMOが、そのヒントをお話します。
北海道札幌市出身。立教大学卒業後、営業アシスタントとしてキャリアをスタート。 メール配信システムベンダー、CDNサービスベンダーで経験を積み、 BtoBマーケティング全般のキャリアを構築。 2016年9月にSATOR株式会社へ参画し、同年12月より事業部長となる。 現在、マーケティング・インサイドセールス・フィールドセールス・カスタマーサクセスまで、約100名のメンバーを統轄。 MAツール「SATORI」を世の中に拡げていくことで、企業のマーケティングDX推進に貢献していくことを目指す。 また、社内第一号の産休・育休取得者として、多様な働き方を推進し、組織改革や後進育成にも従事している。
意志あるところに道あり
コンサルティング企業の最前線で働くワーキングマザー。 男性社会と言われた業界で立ちはだかる仕事や育児の壁。 自分らしいキャリアを形成するための秘訣をお伝えします。
早稲田大学法学部卒業後、1997年にアクセンチュアへ入社。戦略グループ(当時)に配属され、小売、消費財、ラグジュアリーブランドや製薬など主に製造・流通業のクライアントに対する事業戦略やマーケティング戦略を中心としたコンサルティングサービスを提供する。2015年に製造・流通本部へ異動し、2020年よりビジネス コンサルティング本部 AIグループにて、データドリブンコンサルティング領域を統括。ビッグデータやAI、アナリティクスなどの最先端の技術を活用した改革に大きな情熱があってクライアントの経営課題解決をリードしている。プライベートでは1999年に所属組織初の産休・育休を取得。その後も社内の女性活躍推進を目指し、2000年よりインクルージョン&ダイバーシティの活動に参画し、ジェンダーダイバーシティ日本統括を務めていた。22歳の息子を持つ母。趣味は、ヨガ、ダイビング、旅とアート。
コミュニティドリブンな働き方 時と場を超えてつながり共創する
成果のために自分の時間を切り売りするような働き方は長続きしない。コミュニティを通じて人と繋がり、時間や場所を超えて自分らしく働くための仕事との向き合い方。
2003年にNTTコミュニケーションズに入社し、ネットワークエンジニアからキャリアをスタート。経営企画やプロダクトマーケティングを経て、ワークスモバイルジャパンに転職し、LINE WORKSのカスタマーエクスペリエンスとマーケティングの立ち上げに従事。その後 RPAベンダーにてカスタマーマーケティングに従事。現在はAsana Japanのコミュニティマーケティングの責任者として、ユーザコミュニティの立ち上げと拡大を牽引している。 個人の立場では、カスタマーサクセスとマーケティングをつなげるコミュニティ「カスタマーマーケティングmeetup」(#cmkt)を主宰。趣味はサウナとアシュタンガヨガ。 早稲田大学第一文学部卒業。
ビジネスパーソンが語る「乗り越える」
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80年生まれ。横浜高校の大エースとして甲子園春夏連覇を果たし、PL学園との延長17回の死闘、決勝でのノーヒットノーランは高校野球史に今もなお語り継がれる。 98年ドラフト1位で埼玉西武ライオンズへ入団。プロ初先発初勝利、155km/hのストレートで衝撃デビューを飾る。同年三井ゴールデングラブ賞と高卒新人として史上初となるベストナイン、33年ぶりの新人王に輝き、その後8年間で7度もの2桁勝利を挙げプロ野球の顔として活躍。 06年からメジャーリーグに挑戦し、渡米1年目に15勝・2年目に18勝と勝利に積み重ねチームの要となる。その後怪我との闘いにも立ち向かい日本球界へ復帰しソフトバンクホークス、中日ドラゴンズでプレー。 19年古巣の埼玉西武ライオンズへの電撃復帰を果たし、21年7月現役引退を発表。社会現象をも巻き起こし、多くのプロ野球ファンに愛され「平成の怪物」とも呼ばれる大投手である。
ビジネスパーソンが語る「乗り越える」
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1968年10月29日生まれ、大阪府出身。 音楽家・エンターテインメントプロデューサー、作詞家、作曲家、総合エンターテインメント株式会社<TNX株式会社>代表取締役社長。 1988年シャ乱Qを結成。1992年にメジャーデビューし4曲のミリオンセラーを記録。 その後、日本を代表するヴォーカルユニット「モーニング娘。」をプロデュースし大ヒット、代表曲「LOVEマシーン」(1999年)は176万枚以上のセールスを記録。 ハロー!プロジェクトを始め数々のアーティストのプロデュースやNHK Eテレ「いないいないばあっ!」を含む数多くの楽曲提供、サウンドプロデュースを手掛け現在ジャスラック登録楽曲数は1940曲を超える。 プロデュースした任天堂のゲームソフト「リズム天国」シリーズは全世界累計販売本数500万本以上のヒットとなる。 2019年末に大阪・関西万博 地元出展に関する有識者懇話会 特別アドバイザーに就任。 オンラインサロン「みんなでエンタメ王国」オーナー。2020年10月メディアプラットフォームnoteにてコラムをスタートさせ現在国民的エンターテインメントプロデューサーとして幅広く活躍中。
グローバル企業に挑む~対照的なキャリアを歩む2人が語る、究極の仕事の楽しみ方~
大手グローバルIT企業で重役を務めるふたり。30年以上勤続する土岐氏と複数社を経験してきたシーチャウ氏。対照的な歩みでキャリア形成する2人の源泉と共通点とは?
2008年、一橋大学卒業。P&Gジャパンなどを経てジョンソン・エンド・ジョンソンに入社。マーケティング本部長に就任し、2年間で全ブランドのマーケットシェア向上を実現。その後、香港現地法人の社長として当時史上最年少で赴任し、1年間でV字回復を達成。2018年、FOLIOに入社し取締役副社長 執行役員、チーフマーケティングオフィサーに着任。その後2020年にレノボ・ジャパン合同会社にて現職。
前例が無いサービスの社会実装法ダンボールが働き方を変える!?
私が「社会実装」へ没頭する理由。 MBO、上場、大規模資金調達、業態転換。多くの変化や失敗を経験した実践者が、ユニークなサービス・概念を社会に実装する方法についてお話します。
1999年にソフトバンク株式会社のインターネット部門採用第一期生としてインターネット産業に関わる。ブロードキャスト・コム(現Yahoo!動画)の立ち上げに参加。その後ネットイヤーグループ創業に参画。 2001年経営コンサルティング会社コーポレイトディレクションに入社。 2005年ネットエイジグループ(現UNITED)執行役員。モバイル広告代理店事業の立ち上げにかかわる。2005年Fringe81株式会社を創業、代表取締役に就任。2013年3月マネジメントバイアウトにより独立。2017年8月に東証マザーズへ上場を果たす。
DXの土台となる情報共有基盤構築部門横断で挑んだ全社プロジェクト
過去、プロジェクト推進で挫折を味わった私が、20名の部門横断メンバーとドリーム・アーツと共に挑んだ全社の意識共有&業務デジタル化プロジェクトの成功秘話
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己成長の近道は最高のチームを作ること
強い意志を持って新規ビジネスに挑むも、メンバーの離脱や廃業の危機に。 打ちのめされた女性起業家が、もがいた先に見つけた前進するための答え。
横浜国立大学経営学部卒業後、富士通に入社しシステムエンジニア、新規事業開発などを担当。フルタイムワーキングマザーとしての課題認識に基づき、2013年に起業。家事代行マッチングサービス『タスカジ』を運営。慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了。現在は、地方自治体や企業などとの新しい取り組みや、教育機関をはじめとした講演活動など、活動の幅を広げ、「核家族から拡大家族へ」を合言葉に日々奮闘中。 日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2018「働き方改革サポート賞」受賞。
非エリートのハングリー精神日米で咲き誇った“雑草魂”
叩かれても踏まれても、頂点を目指し這い上がる強靭なスピリット。 ギブアップしない気持ちが掴んだ、“世界一”の裏側を紐解く。
大学3年時に日本代表に選ばれ、1998年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。新人1年目に20勝4敗の好成績を残し、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手主要4部門を制し、史上10人目、新人としては史上3人目の投手4冠を達成し、新人王と沢村賞を受賞する。 2004年にアテネオリンピック日本代表に選ばれ銅メダル。 2006年にはWBC日本代表に選ばれ、崖っぷちの韓国戦に登板し勝利投手となり、WBC初代王者に貢献する。 2008年の11月にFA宣言でメジャー挑戦を表明。アメリカンリーグ優勝や地区優勝に貢献し、アメリカンリーグチャンピオンシリーズではMVPを獲得。 その後ワールドシリーズ制覇に貢献し、日本人初の胴上げ投手となる。 2018年読売ジャイアンツと契約、日米通算100勝、100セーブ、100ホールドを達成。 2019年5月20日、現役引退を表明。引退後は、YouTubeチャンネル「上原浩治の雑談魂」を開設、2021年6月現在登録者数28万人。
謙虚に愚直に一歩ずつ着実に進む二度と失敗しないための教訓
不動産業界の寵児と呼ばれた男の栄光と転落、どん底からのサクセスストーリー。 家族との関係、仲間との絆、失敗から学んだ成功の法則とは。
1977年神奈川県生まれ。高校卒業後、宅建主任者資格を取得し不動産会社に就職。 2001年に独立し、エスグラントコーポレーションを設立。2005年業界史上最年少で上場。2010年シーラホールディングスを創業。 現在はプロップ(不動産)テックグループを掲げ、クラウドファンディング事業、マンションデベロッパー事業、CVC事業など、グループ売上高197億円までに成長させる。 著書に『30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由』(ダイヤモンド社)、 『不動産投資の“すごい”真実』(幻冬舎)、『たとえば、謙虚に愚直なことを継続するという習慣』(扶桑社)など。
どん底からでも這い上がれる障がいと年齢を乗り越えたメダリストの軌跡
彗星のごとく現れた50歳のオリンピアンが掴んだ栄光。 死の淵から生還し、不屈の精神で困難を乗り越えた先にあったものとは。
1995年北里大学薬学部卒業後、スポーツファーマシスト資格取得。 45歳の時、趣味で出場したロードレース大会でレース中に転倒。クモ膜下出血、頭蓋骨・鎖骨・肋骨・肩甲骨骨折等により高次脳機能障害が残るが、厳しいリハビリの末、2017年パラサイクリング世界選手権に出場し、WC3タイムトライアルにて金メダルを獲得。 その後も同大会にて4年連続でメダルを獲得し表彰台に上る。 2021年パラサイクリング・ロード・ワールドカップ WC3 タイムトライアルでも銅メダル獲得。 そして、TOKYO2020パラリンピック WC3 ロードタイムトライアル、同ロードレースで金メダルを獲得し、自身が持つ日本選手のパラリンピックでの金メダル獲得の最年長記録も更新した。
女性活躍社会の挑戦者が語る「乗り越える」
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1967年7月13日生まれ。埼玉県出身。血液型O型1985年3月全日本女子プロレスに入門。同年6月12日札幌大会にてデビュー。我が身をかえりみない危険きわまりないファイトスタイルと毒舌全開のマイクアピールからついたニックネームが「デンジャラス・クイーン」。2002年4月、女子プロレスを引退し、夫・佐々木健介のプロレスマネージャーとしてセコンドにつき活躍。その後、主婦タレントとして歯に衣をきせぬ発言で多くのテレビに出演し人気を博す。私生活では男の子2人の母であり料理・裁縫を得意とし、良き母親としての一面も持ち合わせている。その料理の腕前は見事なものでテレビ番組・雑誌等で紹介されている。
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1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。公益財団法人Wellbeing for Planet Earth代表理事。「人がよく生きる(Good Life)とは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。 専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学、概念工学など。 近著は、フルライフ(NewsPicks Publishing)、考え続ける力(ちくま新書)など。
どん底にいたからこそわかる痛み弱者が切り捨てられる社会を変える
毎日必死に生きていく中で突き付けられた不当な現実。 自ら改革者になることを決意し一心不乱に突き進んだ先に見えたもの。
1984年名古屋市生まれ。中学校の時にいじめにあい不登校に。高校には通わずフリーターとして働く。 飲食店、4tトラック運転手などを経験するなかで、非正規労働者の不当な現実を目の当たりにし、 自己責任を理由に弱者が切り捨てられる社会を変えたいと思う。高卒認定資格を取得したあと、24歳で静岡大学夜間主コースに入学。 昼間は仕事をしながら夜は授業を受け、名古屋大学法科大学院(既修者2年コース)へ入学。30歳で司法試験に合格。 現在は弁護士として刑事・民事事件を扱うほか、原発被災者弁護団としての活動や若い女性対象の生活相談などに取り組む。 2021年東京都議会議員選挙(武蔵野市選挙区)にて初当選。
グローバル企業に挑む ~対照的なキャリアを歩む2人が語る、究極の仕事の楽しみ方~
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1988年インテルジャパン(株)(当時)に入社、デザインセンターに所属。その後、テクニカル・マーケティング・エンジニアなどを経て、モバイル・アプリケーション・スペシャリストとして、国内システムメーカーのノートブックPC開発の技術支援、Centrino®プラットフォームのモバイル戦略を技術面から支援。統括技術部長、技術本部 本部長を経て、2012年 執行役員 技術本部長に就任。2016年アジア太平洋地域統括 技術推進本部 ディレクターを兼任。2017年 執行役員常務に就任(注 1997年2月 インテルジャパン(株)の社名を、インテル(株)に改称)